公益財団法人健和会

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創立から今日まで

公害の町に健康を!!

 九州の最北端に位置する北九州は、筑豊炭田を背景にして明治29年創立・34年から本格的に生産を行った官営八幡製鉄(現在:新日本製鉄)に象徴されるように、重化学工業を中心に発展した企業城下町である。同時に階級構造や住民意識構造も、95%以上が勤労者と零細企業からなる企業都市ですが、多くは大企業とその系列・下請け企業の従業員であり、労働組合の大勢も労使協調でありました。住民意識の中にも、大企業に依存しているという潜在的な気持ちがあり、町内自治組織も企業サイドの管理やイデオロギーがもちこまれ、草の根保守的な地域管理が支配的でありました。このことは、政治を決める選挙において全国で初めて企業選挙が行われた発祥の地でもあります。

 市民の気質は、花と竜・無法松の一生などに代表されるように川筋気質として、義理と人情に厚く気が荒いがサッパリとしたイメージが浮かんできます。

 現在の北九州市は、1963年に各市の特徴である門司(外航港・交通の拠点)・小倉(商業拠点・城下町)・戸畑(中小工業・水産)・八幡(製鉄)・若松(炭鉱港)の五市が合併して、人口100万を抱える政令都市となりました。高度成長期にかけては、日本最大の北九州工業地帯といわれ、工場の煙突からでる煙や廃液などによって、喘息患者の公害や魚が住めない洞海湾のヘドロなど全国的にも環境破壊の先鞭として、公害の町として有名になりました。その一つである食品公害のカネミ油症事件は、私たち健和会の公害研究所が中心となって、被害者の健診や調査にとりくみ、国と企業への責任を明らかにするなど勝訴への大きな役割を果たしてきました。

住民のためになる医療機関として

 北九州市も合併時には、人口が1,032,648人でスタートし、ピーク時には、1,068,415(1979年)まで到達しました。その後は減少しつづけ100万人をきるのは時間の問題となっています。このことは、企業城下町として栄えてきた北九州市の宿命でもあり、製鉄(従業員:58,857 人・1963年⇒現在は約7000人)をはじめとする基幹的な産業の撤退にともない、人口の流失・経済の停滞と空洞化がすすみ、政令都市のなかで人工の高齢化が最もすすんでおり、市民所得が最も低いという状況が特徴でもあります。

 健和会の成り立ちは、1953年、北部九州を襲った大水害に対して、その年に結成された全日本民医連より九州水害救助医療班が派遣されました。また、中国紅十字会より援助金が送られ、福岡県民主団体水害対策委員会(民水対)で救助活動につかわれたあと「水害時などに住人のためになる医療活動ができる医療機関をつくろう」との趣旨で民水対からの資金交付によって1954年2月に福岡県内で最初の民主的な医療機関として緑町診療所が開設されました。

住民のためになる医療機関として

 健和会は開設時から九州の水害援助活動や炭鉱労働者医療(炭住医療を含む)、カネミ油症患者救援など、公害・労災・職業病に積極的にとりくみつつ、地域住民の健康と医療を守り発展させる活動を展開しながら北九州の地に大きな歴史を築いてきました。しかしその後、自らの経営力量を超える大手町病院建設を中心とする「新五カ年計画」1979年〜1985年の実践及び思想は、民医連の綱領・方針から逸脱したものでした。この計画は、1985年2月13 日の「不渡り手形事件」によって早くも経営的側面での破綻を露呈することになりました。そして、1992年10月の健和会第38回評議員会で再建方針である『全職員への提案と理事会の決意』を決定し、民医連的再建の第一歩を踏み出しました。

 現在の健和会は、4病院・3医科診療所・2歯科診療所・4訪問看護ステーション・5居宅介護支援事業所・鍼灸所・看護学院・研究所・ヘルパー養成事業(二級)などの健康増進運動〜リハビリまで含む包括医療体制の構築と地域の開業医との連携強化や介護施設・事業所などとの地域ネットワークづくりに積極的にかかわるとともに、『人権を守る非営利・協同』の輪を広げるために、共同組織との協力・共同をすすめて地域から、最後のよりどころとして信頼され安心できる医療機関として発展してきました。

住民のためになる医療機関として

 法人及び地域のセンター病院である大手町病院(許可病床数:642床)は、市の救急車搬入件数が6,000台(2004年)と北九州地域における『救命救急センター』機能の役割を果たすとともに、福岡県と北九州市の災害時拠点病院ともなっています。1998年からは、厚生省臨床研修指定病院となり、自前で民医連の医師を育てる研修を開始しました。北九州市民要求の第一位は、「高齢者医療・福祉の充実」がここ数年のトップになっており、健和会としても高齢者医療・介護・福祉の充実を目指した施設体系の見直しをすすめ、許可病床1275床のうち793床(62.32)を療養型病棟として転換を行いました。また、2000年4月から介護保険制度は、多くの問題点と改善すべき内容を含んだまま実施されているなかで、『たたかいと対応』という民医連運動の基本的立場が堅持して、「要介護が必要な高齢者の権利を守る」という観点から介護保険制度の抜本的な改善に向けたとりくみをすすめています。

 健和会の民医連的再建は、全日本民医連・九州沖縄連絡会・福岡県連の仲間のみなさんに大きく支えられ、医師をはじめとする職員の献身的な努力と奮闘で民医連運動の総合的・全面的な実践がすすみ着実に前進してきました。これからも、多くの困難を乗り越えて長期にわたる再建計画ですが、全国の仲間のみなさんの熱い期待に応え、地域における最後の砦として、民医連の存在意義を輝かせていきたいと思っています。